日本ピューリタン教会 We Are the Japanese Puritan Church

Tuesday, December 31, 2013

コミュニオン儀式

コミュニオン儀式

執事:
使徒パウロは教えて:
だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである。 だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。 (1Cor.11:27-28)
私たちの良心を調べてみましょう。

十戒
牧師と会衆:

主が唯一の神であること 。
偶像を作ってはならないこと。
神の名前をみだりに唱えてはならないこと 。
安息日を守ること。
父母を敬うこと 。
汝、殺すなかれ。
汝、姦淫なかれ。
汝、盗むなかれ。
汝、偽誓なかれ。
汝が切望なかれ。

(時間は良心を調べました。)
赦しの祈り (牧師と会衆):
主イエス、
私たちは罪を犯しました。私たちはあなたの許しをお願いします。
私たちは、善を行うことを約束します。主の聖なる名前で、アーメン。

牧師:
イエスは言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、終りの日によみがえらせることである。わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終りの日によみがえらせるであろう」。(John 6:35, 39-40)

会衆は言います:
神にかんしゃ。

執事:
わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血にあずかることではないか。わたしたちがさくパン、それはキリストのからだにあずかることではないか。
パンが一つであるから、わたしたちは多くいても、一つのからだなのである。みんなの者が一つのパンを共にいただくからである。(1Cor. 10:16-17)

会衆は言います:
キリストに賛美

牧師:
主イエスは、渡される夜、パンをとり、感謝してこれをさき、そして言われた、
「これはあなたがたのための、わたしのからだである。
わたしを記念するため、このように行いなさい」。
食事ののち、杯をも同じようにして言われた、
「この杯は、わたしの血による新しい契約である。
飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。
だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、
主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。(1Cor. 11:23-26)

会衆は言います:
主の平和

牧師:
栄光は父と子と聖霊に

会衆は言います:
初めのように今も何時も世々に

主の祈り
(牧師と会衆は言います)
天にいますわれらの父よ、
御名があがめられますように。
御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。
国と力と栄光は、永遠にあなたのものです アーメン .

牧師:シンボルのキリストの体と血
牧師と会衆はコミュニオンを食べます。



Monday, December 9, 2013

平和

ルカ2:25−35


アドベントの二本目のキャンドルは「天使のキャンドル」と呼ばれ、それは「平和」を表わします。イエスがお生まれになった夜、天の軍勢が「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」と賛美したことから来ています。
 「いと高きところでは、神に栄光があるように」はラテン語で「グロリア・イン・エクセルシス・デオ」(Glória in excélsis Deo)と言います。「グロリア」は「栄光」、「イン」は英語の "in" と同じです。「エクセルシス」は「いと高きところ」で、「デオ」は「神に」という意味です。多くのクリスマスの賛美歌には、この言葉が含まれていますし、 中には「荒野のはてに」など、そのままラテン語で歌う賛美歌もあります。
 「グロリア・イン・エクセルシス・デオ」(いと高きところでは、神に栄光があるように)というラテン語は良く知られていますが、それに続く「エ ト・イン・テラ・パックス・ホムニブス・ボネ・ヴォランタティス」(et in terra pax homínibus bonae voluntátis)というラテン語はあまり知られていませんので、説明しておきます。「エト」は英語の "and" で、「テラ」は「地」、「パックス」は「平和」、「ホムニブス」は「人々に」、「ボネ・ヴォランタティス」は "Goodwill"(善意の)という意味になります。
 聖書には「天の軍勢」がこの賛美をささげたとあります。「天の軍勢」というわけですから、それは幾千万の天使の大合唱だったことでしょう。日本で は毎年12月第一日曜日に「一万人の第九」という催しがあり、ベートヴェンの第九交響曲が演奏され、「歓喜の歌」の合唱がありますが、その大合唱も、天使 たちの大々合唱にくらべればちっぽけなものに見えるでしょう。
 一、神に栄光
 「いと高きところでは、神に栄光があるように」という賛美は、救い主のお生まれにふさわしい賛美です。神は、もとから栄光に満ちたお方ですが、救い主を通して、さらに大きく、豊かな栄光をお受けになるからです。
 人間は神の栄光をたたえ、それを表わし、その栄光に与かるために造られました。しかし、人は神に背を向け、神をたたえるどころか、自らを神にまつ りあげ、神にとってかわって世界を支配しようとしました。それは、大規模な形では世界征服を狙う独裁者に見ることができますが、同じことは、私たちの身近 に、いや私たち自身の中にもあるのです。自分が中心でなければ気が済まないこと、思いどおりにならないとわめき散らすこと、何事にも首をつっこんで人をコ ントロールしたがること、他の人が誉められるとそれを妬むことなどに、神のみこころを悲しませる罪があります。こうした罪は、それが見えるか見えないか、 大きいか小さいかに関わりなく、世界に戦争と不安を、社会に不正と不公平を、家庭に亀裂と破壊を、個人に虚しさと不安をもたらしてきました。神が、そのよ うな世界を裁き、人類を滅ぼしてしまわれたとしても、神の栄光は少しも損なわれることはありません。神は罪を取り除くことにおいて大きな栄光をお受けにな るでしょう。
 しかし、神は罪とともに人間が取り除かれることを望まれませんでした。神は人を愛して、罪の中から人を救い出す道を選ばれたのです。そして、その ために、ご自分のひとり子を救い主として、この世に遣わしてくださいました。救い主は人の罪を背負い、人類の身代わりとなって、ご自分の身に神のさばきを 引き受けてくださいました。救い主はご自分がさばきを受けることによって人の罪を赦し、ご自分が命を捨てることによって、信じる者に永遠の命を分け与えて くださいました。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためであ る。」(ヨハネ3:16)神は、救い主イエス・キリストによって、この世に愛を届けてくださいました。これはこの世のどこにもない愛です。人はこの愛に よって救われます。そして、救われた者は、この愛のゆえに神の栄光をもっと豊かにほめたたえるのです。エペソ1:6に「これは、その愛する御子によって賜 わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである」とある通りです。
 すべての人は、神に造られた者として神の栄光をたたえることができます。ですから、教会の礼拝はすべての人に開かれています。しかし、イエス・キ リストが私の罪のために命を投げ出してくださったことを知り、信じる者は、造られた者としてだけでなく、イエス・キリストの十字架の血で、罪から買い戻さ れた者、つまり、贖われた者として、より豊かに神をほめたたえることができるようになるのです。教会の礼拝に集い、一緒に神への賛美を歌っておられる方々 が一人残らず、イエス・キリストをご自分の救い主、また主として、その心に、生活に、人生に迎え入れ、キリストによって示された神の愛のゆえに、より大き く、豊かに神の栄光をほめたたえることができますよう願い、このクリスマスがその時となるよう祈っています。
 二、地に平和
 「神に栄光あれ」と歌った天使は、続いて「地に平和あれ」と歌いました。「栄光」が救い主によって明らかにされた栄光であるように、この「平和」もまた、救い主によって与えられる平和をさしています。
 イエスがお生まれになった時代はローマ帝国が世界を支配していた時代です。ローマは様々な国々を征服・吸収し、地中海世界に大きな帝国を築きあ げ、その地域は長い間平穏を保ちました。それは「パックス・ロマーナ」(ローマの平和)と呼ばれ、ローマ皇帝は自らを人々に平和をもたらす「救い主」と呼 びました。しかし、「ローマの平和」はローマが他の国々を力づくでねじ伏せた上に成り立っていた平和にすぎず、属国や植民地では人々は大きな苦しみを味 わっていました。歴史を通して、多くの人が、自分こそ「救い主」だと言って、世界をわが物にしょうとしましたが、そうした支配は恐怖と圧迫によるもので、 決して人々に本物の平和を与えませんでした。ただおひとり、まことの救い主、平和の君であるイエス・キリストだけが、私たちに本物の平和、平安を与えてく ださるのです。
 キリストによって与えられる平和は、まず、人の心に「平安」となって宿ります。イエスは弟子たちに約束されました。「わたしは平安をあなたがたに 残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな」 (ヨハネ14:27)弟子たちは、イエスに従い、イエスを宣べ伝えたために、大きな苦しみに遭いましたが、その中でも、心の平安を失くしませんでした。使 徒パウロは「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれ ば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう」(ピリピ4:6-7)と教え ました。それは、環境に左右されない心の平安です。神を信じて祈ることによって得られる確かなものです。私たちの人生には、思い患わずにはいられないこ と、不安を覚えずにはおれないことが必ず起こります。そんな中でも、神の平安が私たちの心と思いをキリストによって守ってくれるというのです。信じて祈る 者には、こんな素晴らしい約束があるのです。ですから、私たちはどんなに思い患うことがあっても、祈りを忘れないのです。
 サーモメーターとサーモスタットとは名前は似ていても働きは違います。サーモメーター(温度計)は気温が上がれば上がり、気温が下がれば下がりま す。部屋の気温を表示するだけです。しかし、サーモスタット(温度調節器)は気温が上がれば冷房を動かして部屋の気温を下げ、気温が下がれば暖房を動かし て部屋の気温を上げます。サーモメーター型の人は、大変なことがあるからといって心配し、嫌な目にあったからといって怒り、ものごとがうまくいかなかった からとって落胆します。けっきょくは回りの状況に左右されているだけです。しかし、サーモスタット型の人は違います。火のような苦しみが襲いかかってきて も、静かにそれを耐え、人々を励ましていきます。まわりが冷たい雰囲気になっても、そこを温めていきます。まわりのものに左右されない、神が与えてくださ る平和、キリストが与えると約束された平安を持っているからです。私たちも信仰と祈りによってこの平安を持ち続けたいと思います。
 三、栄光と平和
 神の平和は、また、人生に意味と目的を与える平和です。ルカの福音書には、天使が歌った「平和の歌」のほかに、シメオンが歌ったもうひとつの「平 和の歌」があります。母マリヤとヨセフが生後40日目に赤ちゃんのイエスを神に捧げるために神殿にやってきたときのことです。長い間救い主の到来を待ち望 んでいたシメオンという人は、その赤ちゃんこそ救い主だということを示され、赤ちゃんのイエスを腕に抱いて、こう言いました。
主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに
この僕を安らかに去らせてくださいます、
わたしの目が今あなたの救を見たのですから。
この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、
異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります。
生涯をかけて救い主の到来を待ち望んできたシメオンは、ついに救い主に出会い、そのお方を自分の腕の中に抱きしめることができたのです。シメオンは、人生 の目的を達成したことに満足し、「主よ、今こそ、あなたはあなたはみ言葉のとおりに/この僕を安らかに去らせてくださいます」と歌いました。神が与える平 和、平安は、このように人生に意味を与え、目的を与えるのです。皆さんの心の中には、そのような平和、平安が宿っているでしょうか。世を去るときに、人生 の目的を達成した満足を味わうことができるでしょうか。
 神を信じ、キリストに従うことは、自分の幸いは何一つ求めず、ひたすらに神の栄光だけを追求するということではありません。神は、私たちが自らを 注ぎ出し、自らを捧げることによって栄光をお受けになられるだけでなく、私たちが神からの平安を受け取り、それに満たされてることによって、さらに栄光を お受けになるのです。神は、私たちの救いを願っておられ、救われた者がこの地にあっても、神からの平和に満たされることを望んでおられます。私たちが神に あって幸いであり、キリストにあって満たされることが神の栄光を表わすことになるのです。
 シメオンの歌は「ヌンク・ディミティス」(今、私は去る)と呼ばれています。日本の教会では、近年、礼拝の最後にシメオンの歌「ヌンク・ディミ ティス」を取り入れるようになりました。シメオンの歌をほぼそのまま歌うのです。シメオンが「わたしの目が今あなたの救いを見た」と言ったように、礼拝は キリストの救いを信仰の目で見、心に平安を満たされ、再び、日々の生活に帰って行くときです。礼拝は、救い主イエスと出会うところであり、その救いを「見 る」、つまり、体験するところです。礼拝は、私たちが「神に栄光あれ」と言って、神に栄光をお返しするときですが、同時に、神が「地に平和あれ」と仰った その平和を受け取るときでもあるのです。神は私たちが何も持たないで礼拝から去ることを望んでおられません。「地に平和」と天使たちによって歌われた平和 を受け、それを心に宿し、この礼拝から平安のうちに進んで行きたいと思います。
 (祈り)
 いと高きところにおられる神さま、私たちはあなたに「栄光」をお返しします。今、私たちにあなたの救いを見せ、「平和」を与えてください。私たち はあなたからの平和なしには、起こってくる出来事に右往左往し、回りの人々の言葉や態度、行いに振り回されるだけの人生で終わってしまいます。あなたの平 和なしには、一日を勇気をもって始め、それを満足と、喜びと、感謝をもって終えることができません。私たちはこの礼拝から平安のうちに生活の場に帰りたい と願っています。あなたの平和を与え、平安のうちに私たちを遣わしてください。主イエスのお名前で祈ります。

Sunday, November 3, 2013

信者の証言。


イエスはあなたを愛している。イエスはどんな罪を赦しすべてのあなたの心をイエスに回して、イエスはあなたを許すでしょう

Friday, August 30, 2013

主のいる場所


悲しいことはありません主は近くにあります。

Saturday, August 24, 2013

Fellwoship Pact


Fellowship Pact

Christian Church of Japan

The Christian Church of Japan is a free church.  Following Puritan Church traditions. A "free church" is a Christian denomination that is intrinsically separated from civil government.  Refuses incorporation. It is A fellowship of believers. A free church recognizes strict separation of church and government.  

We Believe:

  1. The Scriptures, both Old and New Testaments, to be the inspired Word of God, without error in the original writings, the complete revelation of His will for the salvation of men and the Divine and final authority of Christian faith and life.
  2. In one God, Creator of all things, infinitely perfect and eternally existing in three persons: Father, Son and Holy Spirit.
  3. That Jesus Christ is true God and true man, having been conceived of the Holy Spirit and born of the Virgin Mary. He died on the cross, a sacrifice for our sins according to the Scriptures. Further, He arose bodily from the dead, ascended into heaven, where, at the right hand of the Majesty on High, He is now our High Priest and Advocate.
  4. That the ministry of the Holy Spirit is to glorify the Lord Jesus Christ and, during this age, to convict men, save the believing sinner, and indwell, guide, instruct and empower the believer for godly living and service.
  5. That man was created in the image of God but fell into sin and is, therefore, lost, and only through by the power of the Holy Spirit can salvation and spiritual life be obtained.
  6. That the shed blood of Jesus Christ and His resurrection provide the only ground for justification and salvation for all who believe, and only such as receive Jesus Christ are born of the Holy Spirit and, thus become children of God.
  7. That water baptism and the Lord’s Supper are ordinances to be observed by the Church during the present age. They are, however, not to be regarded as means of salvation.
  8. That the true Church is composed of all such persons who through saving faith in Jesus Christ have been regenerated by the Holy Spirit and are united together in the Body of Christ of which He is the Head.
  9. That only those who are, thus, members of the true Church shall be eligible for membership in the local church.
  10. That Jesus Christ is the Lord and Head of the Church and that every local church has the right, under Christ, to decide and govern its own affairs. In consultation with the bishop.
  11. In the personal pre-millennial and imminent coming of our Lord Jesus Christ and that this “Blessed Hope” has a vital bearing on the personal life and service of the believer.
  12. In the bodily resurrection of the dead; of the believer to everlasting blessedness and joy with the Lord; of the unbeliever to judgement and everlasting conscious punishment.

The full statement of our faith is found in the Westminster Confession of 1649 and the Large and Small Westminster Catechisms.
 
Approved December 31, 2013

By the Puritan Church in America –  Synod

and the Board of Directors of the Christian Church of Japan



Puritan Church in America Synod Representatives:

Bishop Peter Morimoto – Director



Bishop Paul Duff – Vice-director



Board of Directors Christian Church of Japan



Bishop Daniel Rea – Chairman

Deacon Itsuko Rea – Vice-chairman

Treasurer – Satoru Aoyama

Secretary – Kiminori Ito

交わり盟約


交わり盟約


日本クリスチャン教会

日本クリスチャン教会は自由教会です。清教徒教会の伝統の中です。自由教会は本質的に市民の政府から分離されたクリスチャン宗派である。取り込みを拒否します。それは、信者の交わりです。自由教会は、教会と政府の厳格な分離を認識します。私たちは Puritan Church In America と提携しています。

私たちは信じます:

1.旧新約聖書を原典において何ら誤りなき、霊感された神の言であり、人間の救いについて神のみこころを完全に啓示し、すべてのキリスト者の信仰と生活の神的、究極の権威であることを信じる。

2.万物の創造主であり、無限に完全であり、父、子、聖霊の三人格において永遠に存在される唯一の神を信じる。

3.イエス・キリストは聖霊によってやどり、処女マリヤより誕生された真の神であり又真の人であること、又聖書に示すとおり、十 字架上にわたしたちの罪の犠牲として死なれたことを信じる。そして主は死より肉体をもって復活し、天にのぼり今は高き所にいます大能者の右に座している大 祭司および助け主であることを信じる。

4.聖霊のみわざが主イエス・キリストに栄光を帰し、現在の時代においては人々に罪を認めさせ、信じる罪人を新生させ、敬虔な生活と奉仕のために信者に内住し、信者を導き、教え、力づけるものであることを信じる。

5.人間が神のかたちにつくられ、罪の中に堕落したために失われているものであること、また人間は聖霊による新生を通してのみ救いと霊的生命を与えられることを信じる。

6.イエス・キリストの流された血と復活がすべて信じる者の義認と救いのための唯一の基盤であり、イエス・キリストを受け入れる者のみが聖霊により新生して神の子となることを信じる。

7.水の洗礼および主の聖餐が現代の時代における教会により守らるべき礼典であることを信じる。しかしそれらは救いの手段としてみなされてはならない。

8.真の教会がイエス・キリストにある救いの信仰を通し、聖霊により新生し、そのかしらであるキリストの体に結合されているすべての人により構成されるものであることを信じる。

9.真の教会の会員である者のみが地方教会会員資格をもつものであることを信じる。

10.イエス・キリストが教会の主であり、かしらであること、またすべての地方教会がキリストのもとに個々の業務を決定し、つかさどる権利をもつものであることを信じる。一緒に司教との相談しています。

11.わたしたちの主イエス・キリストの御自身による千年王国前の、切迫した再臨を信じる。この「祝福に満ちた望み」は信者の個人的生活と信仰に重大な意義をもつものである。

12.死者の肉体の復活を信じる。信者は主とともなる永遠の祝福と喜びによみがえり、不信者はさばきと永遠に意識する刑罰によみがえることを信じる。
私達の完全な信仰箇条では、ウェストミンスター信仰告白とウェストミンスター教要理です。


20131231日に承認
Puritan Church in America 教会会議日本のキリスト教会の取締役会を承認する


Puritan Church in America教会会議の代表者
Bishop Peter Morimoto – 大統領

Bishop Paul Duff - 副議長

日本キリスト教会の取締役会
会長 - 日本クリスチャン教会大司教 レイ・ダニエル大司教
副会長  レイ・伊津子助祭
会計 青山悟
秘書 伊藤公則